半纏の分胴紋の由来

正面

背面

半纏に附した熊取谷の分胴紋 「明」

 石動屋は大正14年7月、松村組からの依頼で
金沢紡績会社工場寄宿舎(現、大和紡績工場)の工事に参加した。
 工事にかかると土工職で参加している浪花組というのが
「挨拶をしろ」と凄んできた。
 石動屋の若いものもまけてはおらずに言い返す
――などでだんだん仕事がやりにくくなってきた。
 
 そこで半七は石工職方で入っている明田(あけだ)作五郎氏に
仲介の労を頼んだ。
 明田氏はかねて半七と昵懇で、石動屋が玉川町についで
移転した木の新保の家は、明田氏が東京へ本拠を移すまでに
住んでいたものであった。
 
 明田氏は石工では一勢力を成し、自身は大阪の俠客、
熊取谷(くまとりだに)組に属し“熊取谷の四天王”と異名をとった
“実力者”であった。
 色白で身体が大きく、堂々としており、肩から背中にかけて、
のぼり竜とくだり竜のみごとな朱彫りがあって、銭湯などで出会うと
その美しさに惚れ惚れした――といわれている人。
 
 この明田氏の口ききで、金沢市の北間楼で、無事手打ち式が
行なわれ大事にいたらず、工事が進められた。
 この時の恩義に対して、熊取谷の印である分胴紋を石動の半纏に
附すことにしたのである。
 
 現在では半纏姿で仕事を進めている職人は全くいないが、半纏の
腰まわりの模様は「左官」という字を図案化した独得のもので、
この図案をみれば、左官とか大工とかの職分が判明したという。


― 石動家の系図 ―

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