左官こぼれ話
知っているとちょっとハナタカになれるかも?!「左官」にまつわるよもやま話。
4月9日は「左官の日」
左官とは鏝や板などを使って壁土を塗り仕上げる仕事、またはそれを専門とする職種のことを指す。石灰や土、砂などを組み合わせた自然素材からなる塗り壁などを「左官壁」といい、その代表例が「漆喰壁」である。
毎年4月9日は日本左官業組合連合会が制定した「左官の日」である。「漆喰」→「しっくい」→「四と九」という語呂合わせが選定の由来だ。
「左官」の由来
建築関係の仕事は大工、建具職人など、さまざまあるが、職名の中に「官」の字が就くのは「左官」だけである。その名の由来は大化元年(645)に御所の外郭に土塀を作った許勢波多哀(こぜはたお)が天皇から賜った称号であると言われている。このほか、その昔、宮廷に出入りするには官位が必要だったため、「左官」という官職をつけた説など諸説あるが、はっきりしたことは定かではない。
江戸時代、「漆喰仕上げ」が主流に
左官の起源は竪穴式住居の壁の材料となる土を積み上げて土塀を作っていた縄文時代にまでさかのぼると言われている。飛鳥時代には石灰を使って壁を白く塗る技術が開発され、発展した。茶の湯が町人の間にも広がった安土・桃山時代になると茶室建築に色土が用いられ、多彩な表現が可能になる。漆喰で壁全体を覆う「漆喰仕上げ」が定着するのは江戸時代である。漆喰は耐久性と耐火性に優れ、城以外にも商人の土蔵や神社仏閣など幅広く用いられるようになっていく。
アートとして注目を集める
明治時代になると、西洋の技法を取り入れて「漆喰彫刻」が普及し、アートとしても注目されるようになる。「和モダン」という建築様式が人気を集める現代においても、左官技術は欠かせない。金沢城公園の鼠多門をはじめとした復元工事や金沢ならではの町並みを守る町家リノベーション、さらに「平成の大修理」を行った姫路城にも金沢の左官の技が生かされ、その果たす役割はますます重要になっている。
腕のよい職人を輩出した地域性
金沢や富山の左官は江戸時代から有名だった。金沢城や富山城の白壁や武家屋敷の壁を塗る仕事がたくさんあったため、腕のいい職人がたくさん育ったのである。兼六園に隣接する江戸時代に建てられた「成巽閣」には、壁が群青色に塗られた「群青の間」がある。この群青色は、2015年に金沢まで開業した北陸新幹線のグリーン車に使われて有名になった。左官の技術は地域のイメージアップにも一役買っている。